2020年8月15日、nhk特集ドラマ「太陽の子」が放送される。これには柳楽優弥さん、有村架純さん、また7月18日に亡くなった三浦春馬さんが出演する。 一方、爆縮レンズ方式の長崎型原爆(ファットマン)は米国が3年の歳月と20億ドルの巨費をかけた「マンハッタン計画」で開発し、ニューメキシコのアラモゴード実験場で世界初の原爆実験「トリニティ実験」での成功を経て、長崎に投下使用されたという。 1 日本の大戦中の核開発をめぐる従来の定説とウィルコックスの新説 ※原爆開発国の日本の技術でなければ原爆は起爆せず、起爆装置は100%日本製 . (注5) 「テレビ朝日」2008年8月2日~放送「原爆・63年目の真実」。 (注2) 山田克哉著「日本は原子爆弾をつくれるのか」2009年PHP新書 米国は秘密裏の国家的プロジェクトであるマンハッタン計画により原子爆弾が製造され、 1945 年 7 月 16 日世界で初めて原爆実験に成功 。 広島に同年 8 月 6 日・長崎に 8 月 9 日に投下した。 日本も同時期複数の開発計画が進行し、原料の良質なウランの入手ができず開発は遅れた。  理研は、1917(大正6)年に政界・財界・学界の要請で設立された日本初の自然科学の総合研究所です。 ⑥焦った日本も米国への報復を示唆するため、開発を密かに進めていた陸軍が、昭和20年8月12日、終戦の3日前になんと現在の北朝鮮・金策市(当時の名称は城津で)で日本初の原爆実験に成功していたことが米国公文書で明らかになっている。 (注4) 矢野義昭著「世界が隠蔽した日本の核実験成功:核保有こそ安価で確実な抑止力」2019年勉誠出版 (注9) 伊藤貫著「中国の核戦力に日本は屈服する」2011年小学館。, 加藤 成一(かとう  せいいち)元弁護士(弁護士資格保有者) となりアメリカも原爆の研究を1939年 に開始します。 . 「理研は、第一次世界大戦をきっかけに設立されました。大戦の勃発で、それまで海外に頼っていた薬の原材料などが日本に輸入されなくなり、生活や経済に支障をきたしたのです。こうした危機感から、政界や財界、学界などから科学分野を振興する必要性が高まりました。そうした事情もあって、三井や三菱といった当時の大財閥から資金や土地の提供など、潤沢な支援を受けて設立されたのです」と話すのは仁科記念財団で常務理事を務める矢野安重さんです。 たしか米国の原爆のマンハッタン計画は当時の日本の国家予算くらいの資金で開発していたと思います。ちょっと自信はないですが、いずれにしてもこの低予算で日本が核開発に成功するなど、日本の潜在力のすごさが感じられます。 なんと、広島・長崎に原爆が投下される 日本の原爆開発の着想は1934年に遡ります。国内ではウランが手に入らないことから、北朝鮮にその供給源を求めました。このとき、南北朝鮮はまだ分断されていませんでした。 だが、日本で原爆が投下されたと聞いたとき、アインシュタインは「なんということだ」と言った。 その後、アインシュタインは「ドイツが原爆の開発に成功しないと知っていたら、爆弾のために何かをすることはなかっただろう」と語っている。  原爆の研究・開発を持ち掛けられた仁科でしたが、その申し出をいったん断ります。このとき、すでにドイツやアメリカが原爆の開発・研究を進めているという噂が仁科のところまで伝わっていました。 (注8) 中川八洋著「日本核武装の選択」2004年徳間書店 (注3) ロバート・ウィルコックス著「成功していた日本の原爆実験:隠蔽された核開発史」矢野義昭訳2019年勉誠出版 日本の原爆開発の着想は1934年に遡ります。国内ではウランが手に入らないことから、北朝鮮にその供給源を求めました。このとき、南北朝鮮はまだ分断されていませんでした。 田中英道 日本の原爆実験は北朝鮮・興南で成功していた(1945年8月12日)今回は特別編として、『成功していた日本の原爆実験―隠蔽された核開発史』にある真実、と題しお届けします。この話を聞いて「嘘だ」という人と「真実だ」という人に分かれる傾向があるようです。 8.12 日本原爆実験成功」の事実が、今後の日米両国の諸研究・諸調査等により歴史上確定されれば、日本による「原爆実験成功」の世界史的意義は極めて大きい。, なぜなら、アジアの一国である日本が米国に伍して、戦前において、すでに人類史上初の「原子爆弾開発能力」を保有していたことを意味するからである。このことは、戦前からの日本の科学技術水準の高さを表し、戦後、理論物理学者の湯川秀樹、朝永振一郎両博士をはじめ、日本のノーベル賞受賞者多数の輩出へとつながっている。, だからこそ、現在の日本は、「核保有国」ではないが、原発再稼働によるプルトニウムに加え、世界最高水準の原子力技術に裏打ちされた高度な「潜在的核保有能力」を保有しているのである。日本の安全保障上、あらゆる不測の事態や国際情勢の激変に即応するため、核抑止力として、上記能力は今後も必要不可欠である(2019年8月23日付け「アゴラ」掲載拙稿「日本の安全保障:反原発・脱原発の流れは極めて危険」参照)。, 日米への核攻撃に対して、現在、日米は共同で「ミサイル防衛システム」を開発強化している。しかし、ミサイル防衛は100%完璧に撃ち落とすシステムでなければ機能しない。これは技術的には極めて困難であり不確実である。様々な迎撃回避策も検討されている。したがって、日本としては不確実なミサイル防衛システムのみに頼ることはできないから、「核攻撃の脅威に対しては核による抑止しかない」との大前提で安全保障政策を考える必要がある(注6、注7、注8、注9)。, そうすると、日米同盟による「拡大核抑止」(「核の傘」)が基本ではあるが、これを補完するための米国との「核共有」(「ニュークリア・シエアリング」)は必須であり(2019年9月13日付け「アゴラ」掲載拙稿「韓国の核保有も睨み、日本は米国との核共有を急げ」参照)、かつ、前記の通り、安全保障上、核抑止力として、「潜在的核保有能力」の保有は極めて重要である。, (注1) デイビッド・J・ディオニシ著「原爆と秘密結社」平和教育協会訳2015年成甲書房  また、原爆を開発できても、原料になるウランがありません。陸軍は福島県石川町でウランを採掘させていましたが、「原爆に使えるような品質ではなかった」(矢野さん)と言います。そうした事情から、仁科はいったん原爆の研究・開発を断ったのです。, 東京都のコロナ感染者2000人超えにネット悲鳴…「ロックダウンしろよ」「多分クリスマスが原因やろね」, 東京都の感染者数、昨日を800人以上も上回る2447人に 重症者は121人 関係者, 「安売り肉を買うシーン、パクられた」 京都アニメーション放火殺人事件の被告が主張 わずか2分半、ありふれた描写, 【速報】愛知で初の400人超 過去最多431人の感染確認 新型コロナウイルス(7日), Go Toキャンペーン受託団体が二階幹事長らに4200万円献金――2020 BEST5, 40代50代の婚活がなかなかうまくいかないワケ 「子どもが欲しい」という気持ちが邪魔をする, Copyright © 2021 Yahoo Japan Corporation. 以上の経緯を経て、後記(注3)のロバート・ウイルコックスによれば、日本は戦争末期に核爆発装置を完成させ、1945年8月12日早朝、北朝鮮ハムフンの興南沖水域で原爆実験を行い成功させた。海上爆発特有の「きのこ雲」の発生を日本人士官が証言し、その他にも数多くの状況証拠が存在する。 そして、原爆の原料である天然ウランは主として北朝鮮で採掘精錬し、当時北朝鮮の興南にはアジア最大の日本の軍需工場があり、原爆製造に不可欠な日本の世界最大級の発電所があった。原爆の開発には大量 … 火薬の原料である硝石が無い日本では独自の製法が発達した。 それが「古土法」と「培養法」。 硝石は空気中あるいは土壌中のアンモニアを酸化して硝酸化。 Zen Cart [日本語版] : 成功していた日本の原爆実験 [978-4-585-22246-0] - 米国の最高機密情報を増補した第3版を米国に先駆けて出版CIA機密調査班の調査が、日本の核開発はとん挫したという定説を覆す。1945年8月12日早朝、北朝鮮興南沖にて海上爆発に成功していた。  研究資金が莫大にあった理研は日本の科学分野をリードする存在で、特に仁科は原子核破壊装置「サイクロトロン」を世界で2番目に完成させるなど、物理学の分野では日本のトップ科学者として知られていました。原爆の研究・開発を持ち掛けた安田と仁科は東京帝国大学の先輩・後輩という間柄で、軍人と科学者という別々の道を進みながらも交流がありました。そうした経緯から、安田は仁科に原爆の研究・開発を打診したのです。  アメリカは、当時の金額で約20億ドルもの予算を原爆開発につぎ込んでいます。それでも、仁科はアメリカが原爆を完成させることは技術的に難しいと考えていました。まして、研究開発費が約45億円と少なかった日本がアメリカに先駆けて完成させることは不可能と判断していました。 成功していた日本の原爆実験―隠蔽された核開発史 ロバート・ウィルコックス (著), 矢野義昭 (翻訳) 田中英道氏の解説動画「新しい歴史教科書を作る会」会長 日本の原爆実験は北朝鮮・興南で成功していた(1945年8月12日) All Rights Reserved. 無断転載を禁じます。. (注6) 中西輝政編著「日本核武装の論点」2006年PHP研究所 自然界のウランは、主にウラン235とウラン238という2種の同位体(中性子の数が違うが化学的な性質は同じ)で構成される。含有率はウラン235が0.7%、ウラン238が99.3%である。 核分裂を起こすのはウラン235であり、この濃度を高めるために濃縮する(濃縮ウラン)。軍事的な目的では臨界量近くまでに、民事用(発電用)では3%程度にまでに濃縮する。 臨界量とは、核分裂の連鎖反応が持続する最少の質量のことをいう。原爆は、臨界量以下の核分裂物質を、火薬の爆発力を用いて臨界量を超過させ … 原爆の秘密情報を渡し、アメリカを味方につけて、アメリカの工業力を使えば戦争に勝つための原爆開発ができると目論んだのです。 1941年7月チャーチルは、原爆実用化のカギを握るパイエルスの発見を、密かにアメリカに伝えます。 (注7) 渡部昇一著「非核信仰が日本を滅ぼす」2007年「正論」2月号 神戸大学法学部卒業。司法試験及び国家公務員採用上級甲種法律職試験合格。最高裁判所司法研修所司法修習生終了。元日本弁護士連合会代議員。弁護士実務経験30年。ライフワークは外交安全保障研究。, 緊急事態宣言は回避可能!医療機関への損失補償は杉並区の成功に学べ --- 松本 光博.  広島・長崎に原爆を投下した当事者国であるアメリカの大統領が広島を訪問することは異例で、現職のアメリカ大統領が原爆について演説したこと前代未聞です。それだけに、オバマ大統領が広島を訪問したことは全世界が注目した一大ニュースでもありました。2017年には、ICAN(核兵器廃絶国際キャンペーン)がノーベル平和賞を受賞するなど、世界で核兵器廃絶の機運が急速に高まっています。 1942年8月にはアメリカで原爆製造計画 が始まり、3年の歳月と20億ドルの予算を かけて1945年7月16日に世界初の 原爆実験を成功させました。 . 普通の日本人さん「日本も原爆の開発に成功したが昭和天皇様が先祖に申し訳ないと使用を中止なされた」 嫌儲 Twitter Facebook はてブ Pocket LINE コピー 日本は戦時中、核実験に成功していた ―R・K・ウィルコックス『日本の秘密戦争(Japan’s Secret War)』の検証― 元陸将補 矢野義昭 .  原爆投下は広島が1945(昭和20)年8月6日、長崎が同9日。毎年それぞれの原爆忌には広島・長崎で慰霊と平和祈念のための式典が挙行されています。原爆投下という悲劇が2度と起きないよう、両日は世界が平和と非核化について改めて考える時間でもあり、日本は唯一の被爆国として、アメリカは原爆を投下した当事者国として世界平和に取り組む責務を負っています。, 日本は唯一の被爆国です。その一方、太平洋戦争時に原子爆弾の研究・開発を進めていたことはあまり知られていません。大日本帝国が極秘裏に原爆の研究・開発をスタートしたのは、1940年ごろのことでした。それは、陸軍航空技術研究所の安田武雄所長が理化学研究所(理研)の仁科芳雄に原爆の研究・開発を持ち掛けたことから始まります。 日本は原爆開発に成功しておりません。 当時の原爆開発の第一人者である仁科博士の指揮下にあった関係者が証言しております。 民放の番組ですら、それを明らかにしています。 花火. https://news.yahoo.co.jp/articles/ca890afbd1eb98073cff088982e911e80f285639 8.12日本原爆実験成功」について公式には論評していない。しかし、後記(注3)の米国人ジャーナリストのロバート・ウイルコックス著「成功していた日本の原爆実験」(『隠蔽された核開発史』)は、日本の原爆実験成功を認める米国CIA機密調査班の調査に基づくものである。, 第二次世界大戦中の日本の原爆開発の記録のほとんどは米軍に没収されている(注2)。したがって、原爆開発に関する情報量は日本よりも米側が圧倒的に多いのであり、上記CIAの調査も圧倒的な情報量に基づき、当然上記記録なども利用されていると思料される。, さらに、「終戦の翌年、アメリカの新聞に驚くべき記事が掲載された。日本は原爆を開発していた。朝鮮半島北部で実験に成功」との内容の放送もされている(注5)。, 仮に、上記「1945. 原爆開発成功 独国降伏後、対日戦の早期終結のために米英は、ソ連に対日参戦を強く要請していました。 その見返りとしてソ連は、ヤルタ会談(2月)で南樺太と千島列島の領有の密約を取り付けています。 日本の「原子爆弾開発計画」はすでに1934年に着想され(注1)、日米開戦直前の1941年4月から実際に原子爆弾開発が進められた。日本軍部には二つの原子爆弾開発計画があった。, 一つは日本陸軍の「二号研究」であり、いま一つは日本海軍の「F研究」である。「二号研究」は1941年4月の原爆開発依頼から京都帝国大学仁科芳雄教授が中心の理化学研究所「仁科教室」で行われ、「F研究」は1941年5月の原爆開発依頼から京都帝国大学荒勝文策教授中心で行われた(注2)。, 「二号研究」では、天然ウランの中のウラン235を熱拡散法によって濃縮する方式が採用された。濃縮されたウラン235の原子核に中性子を当てると核分裂が起こり、大きなエネルギーが放出され原子爆弾になる。「F研究」では、ウラン235の分離は遠心分離法が採用された。遠心分離法は、イランなど現在でも広く用いられている濃縮方式である。, 原料の天然ウランは、当時日本領土の北朝鮮のウラン鉱山などから調達された。その後、戦局が悪化すると共に、日本軍部は原子爆弾による戦局の挽回を目指し、両研究の連携により、遠心分離法を中心とするウラン濃縮を行い、原子爆弾の開発を促進した。, ちなみに、米国の「マンハッタン計画」は1942年から始まっている。同計画は総額20憶ドル、延べ45万人を動員し、3年で原爆を開発した(注2)。, 以上の経緯を経て、後記(注3)のロバート・ウイルコックスによれば、日本は戦争末期に核爆発装置を完成させ、1945年8月12日早朝、北朝鮮ハムフンの興南沖水域で原爆実験を行い成功させた。海上爆発特有の「きのこ雲」の発生を日本人士官が証言し、その他にも数多くの状況証拠が存在する。, そして、原爆の原料である天然ウランは主として北朝鮮で採掘精錬し、当時北朝鮮の興南にはアジア最大の日本の軍需工場があり、原爆製造に不可欠な日本の世界最大級の発電所があった。原爆の開発には大量のウランと膨大な電力を必要とするからである。, しかし、ソ連が1945年8月8日に日本に対して宣戦布告し、満州国、朝鮮半島に侵攻したソ連軍は、8月12日の上記核爆発の数時間後に北朝鮮興南を占領し、核インフラを奪い日本の核技術者を連行した。ソ連はその成果を利用し、僅か4年後に核実験に成功した。中国の朝鮮戦争参戦の目的には興南の核インフラがあった。北朝鮮の核開発は、人材育成も含め、日本の統治下で基盤がつくられたのである。, このように、日本が原子爆弾開発を行っていた北朝鮮の興南は、戦後、ソ連、中国、北朝鮮の核開発の拠点になった(注3、注4)。, ロシア政府系通信社「スプートニク」は、2013年6月13日付で「1945年8月12日、日本軍は小型の船艇に核爆弾を載せ、ハムフン沖で爆破すると、直径1キロの火球が天空に燃え巨大なキノコ雲が上がった」と報じている。, さらに、北朝鮮の朝鮮労働党機関紙「労働新聞」も、2018年2月9日付で、「日本は敗戦直前ハンフンの興南沖水域で核爆発実験を実施した」と報じている。, また、中国政府の公式サイトは、2015年9月6日付で「日本は1939年から1940年の間に、日本で核兵器を製造した」と報じている。, 上記ロシア、北朝鮮の報道は、いずれも、日時、場所、内容が一致し具体的であり、1945年当時の記録や資料に基づくものと思料される。ロシアと北朝鮮が、ことさら虚偽の事実を捏造した証拠はない。, なお、上記「スプートニク」の記事については、東京工業大学名誉教授の山崎正勝氏が「1キロの火球は広島に投下された原爆の10倍に相当し、エネルギー換算で1メガトンになり考えられない。ウイルコックスは信頼性の低いGHQの資料を引用している」などと批判する。, しかし、爆発の規模などに異論はあるとしても、原爆実験の存在そのものを根本的に否定する確たる証拠は提出されていない。後記の通り、原爆開発に関する記録はほとんど米軍が没収しているのである。, 米国政府は「1945. 現在JavaScriptが無効になっています。Yahoo!ニュースのすべての機能を利用するためには、JavaScriptの設定を有効にしてください。, 2016年5月27日、アメリカのオバマ大統領(当時)が広島を訪問。広島平和記念資料館を視察したほか、原爆死没者慰霊碑に献花をし、第2次世界大戦の犠牲者を追悼しました。また、日本原水爆被害者団体協議会の代表委員とも対面し、抱擁を交わしています。 結局日本の原爆開発は最も進んだところでも基礎段階を出ていなかった。 日本は、8月6日の広島市への原子爆弾投下、8月9日の長崎市への原子爆弾投下で被爆し、8月14日にポツダム宣言を受諾した(調印 …