the blue heartsの「夢」歌詞ページです。作詞:真島昌利,作曲:真島昌利。人にやさしく 主題歌 (歌いだし)あれも欲しいこれも欲しい 歌ネットは無料の歌詞検索サービスです。 感想は「いつも通り最高だった!」で、終わってしまうので…, 日本ロックシーンだけでなく、世間にも多大なインパクトを残し、今なお大きな影響を与え続けているバンド、ザ・ブルーハーツ。 THE BLUE HEARTS(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンド。1985年結成。1987年にメジャーデビューし、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。通称:ブルハ。, ヒット曲は「リンダリンダ」「TRAIN-TRAIN」「情熱の薔薇」「夢」など[2]。コード進行は3、4コードを主としたシンプルなものが多いにもかかわらず、オリジナリティ溢れる楽曲を多く作り上げた。, 「ブルーハーツ」というバンド名の由来は、甲本ヒロトによると「意味は無く、誰もが呼びやすい小学生でもわかるような英語で、バンドの音楽性が見えないような名前」だからつけたという。他のバンド名候補として「昨日悲ベッツ」等があった[3]。, 1985年結成。1987年にシングル「リンダリンダ」でメジャーデビュー。解散後も、彼らの楽曲は近年でもCMやドラマや映画などに多く使われている[4]。, THE BLUE HEARTSの甲本ヒロトや真島昌利の書く詩は、NHK「人間講座」の「言葉の力・詩の力」(ねじめ正一講師)[5]中でも、その文学性が高く評価されている(なお、教材本文の講義は、2001年度前期のNHK教育テレビ「人間講座」内で放送)。, 『THE BLUE HEARTS』から『TRAIN-TRAIN』までの前期三部作は、ブルースをルーツとしたメッセージ性の強い、独自の日本語ロックの世界を構築していたが、イーストウェスト移籍後からの後期作品は、後のTHE HIGH-LOWSに繋がる様々なスタイルを取り入れ、メッセージ性を無視した楽曲も多い。, 1980年代前半、それぞれのバンドの状態が思わしくなかった甲本ヒロトと真島昌利、河口純之助の3人は下北沢のバイト先で出会い、Traditional(トラディッショナル)というセッションバンドを行ったり、バンドの事について語り合ったりして飲んだり遊んだりしているうちにお互いに意気投合しあっていった。, 1984年11月11日、「ロードサイド・ロッカーズ」というイベントで、Vo.甲本ヒロト、Gu.真島昌利&河口純之助、Ba.コハマ(元FACE)、Dr.不明(アールチューカーのメンバーの誰か)の5人で原宿ホコ天にてライブをする。, 1985年の1月から、それぞれバンドを解散したり脱退したりしていた真島や甲本らは、本気でバンド結成のことについて考えるようになり、1985年2月に、真島と甲本の2人を中心として「THE BLUE HEARTS」を結成。同年4月に、THE BLUE HEARTSの初ライブを行うことになった。同年の夏に、彼らのマネージャーとしてバンドに関わっていた河口が前メンバーの替わりにベースとして参加し、翌年の4月ごろに梶原徹也が甲本に加入を懇願し、ドラマーとして参加した。結成当初は、渋谷のライブハウス 渋谷屋根裏を拠点として多く活動していた。1986年、梶原が加入した頃から「面白いバンドがいる」と、話題になり始める。, 1987年2月に、シングル「人にやさしく」を自主制作で発表。同年、メルダックよりメジャーデビューが決定し、1987年5月1日に、メジャーデビューシングル「リンダリンダ」を発売、同月に1stアルバム『THE BLUE HEARTS』を発表した。口コミなどで、彼らの評判は若者を中心に全国的に知れ渡るようになり、第二次バンドブームの先駆けとなった。, 半年後に発売した2ndアルバム『YOUNG AND PRETTY』も好調、そして1988年に発表した3rdアルバム『TRAIN-TRAIN』が50万枚を超えるヒットとなり、同作からリカットされたシングル「TRAIN-TRAIN」がドラマの主題歌などにも起用されるなど、一躍音楽界のトップシーンに登り詰めた。, しかし4thアルバム以降は、以前ほどの売れ行きは見せなくなった。その後3枚のアルバムを発表。1995年にラストアルバムを発表し、バンドは解散。, 解散当時に発売された音楽誌『バンドやろうぜ』の編集局コラムによると、「河口が宗教(幸福の科学)に没頭し、スタッフやファンを勧誘したことに甲本と真島が怒ったために解散に至った」とされている。しかし、甲本がのちに音楽誌に語った内容では「バンドを続けるにはある程度の演奏技術が必要。それがあのメンバーでは出せないから解散した」となっている。他にも雑誌『VIEWS』のインタビューで、甲本は当初は解散ではなく、自分がバンドを抜けるつもりだったとのこと。その理由に言及していないが、「あの時、甲本が言い出さなければ自分が抜けていた」とのちに真島が語っている。凸凹ツアー中の宿泊先のホテルで、メンバーひとりひとりと話し合い、「甲本が抜けるなら解散」→「でもまたあとで再結成というのも恥ずかしいのでひとまず活動休止」ということとなった。, 活動休止中に甲本は別バンド「ヒューストンズ」、真島はソロ、梶原はドラマーズなどで活動。結局は解散を最終決定するも、レコード会社との契約がまだ残っていたために、アルバムを一枚出す必要性に迫られた。ラストアルバム『PAN』がブルーハーツ名義にもかかわらず、中身がブルーハーツではない(ソロの楽曲の寄せ集め)のはそのため。そしてNHK-FMミュージックスクエアで「今後の予定は?」と聞かれて「解散です」と突然の解散発表。それから10年。2005年あたりから、元メンバーが公の場に揃って姿を見せるなど、再び交流が活発化している。, このラジオ番組で行われた解散宣言の前に届いていたブルーハーツ集団(ファンクラブ)会報誌「BLUE-PARTS」には、号外として今回のラジオ出演の告知があり、「放送内で解散宣言をします」と明記されていた。1995年1月1日号には「ブルーハーツ集団、解散」の告知があった。甲本はこの時に「ずっと続いているものを一旦リセットしたいと思って」と話していた。, 1995年にブルーハーツを解散した後、甲本と真島は3人の新メンバーを加えTHE HIGH-LOWSを結成。晩年のブルーハーツでもその兆候はあったが、社会的メッセージというよりシュールな歌詞が多くなった。それでも躍動感あふれる曲を多く作り、固定ファンの期待に応えるだけでなく、新たなファンも獲得していった。こちらも10年後の2005年に活動休止したが、2006年に甲本と真島が再びコンビを組み、二人の新メンバーを加えザ・クロマニヨンズを結成し活動を再開した。, ブルーハーツ解散後にメンバーがブルーハーツ時代の曲を歌うことは原則ないが、甲本は一度、他人のライブの飛び入りで「僕の右手」を歌い、また『ヨルタモリ』出演時に「リンダリンダ」のセッションにブルースハープで参加しハミングをしたものの、歌唱はしなかった。真島はイベントで何度か「青空」を歌い、河口がSUMMER SONICで間寛平らと共に「リンダリンダ」を、梶原がThe 3peaceとして「リンダリンダ」を演奏した。, パンクロックスクラップ人にやさしく(コーツ時代の曲)ダンスナンバー僕はどこへいった, 幻のソノシート、「1985」を配布。「1985」はこの日が最後の演奏となった。これまで無題だった「街」に曲名がついた。ブルーハーツとしては最初で最後のカバー曲を演奏した。, 特製のブルーハーツバッジがプレゼントされる。「僕はどこへいった」、「幸せのブルース」は、この日が最後の演奏となった。, 少年の詩、ハンマー(ハンマーは1991年のライブで一度のみ「外は春の雨が降って僕は部屋で一人ぼっち 外は夏の雨が降って僕は部屋で一人ぼっち」と歌われてる)や2種類のメドレー(厳密には4種類)がある。, 終わらない歌は1988年~1989年にかけてのライブでは最後のサビを三回演奏(二回歌唱)した。, 1993年から1994年にかけて行われた凸凹ツアーでは、風船爆弾が河口ボーカル(普段は甲本ボーカル)でメドレーの五曲目として歌われた。, 1988年に日清パワーステーションで行われたライブでは甲本がダンスナンバーの2番と3番の歌詞を間違えて歌い、「これからは2番と3番を逆に歌ったらカップヌードルバージョンと呼ぼう」とMCで釈明していた。, 真島が友部正人のライブにゲスト出演したときには、終わらない歌、青空(一部、歌詞を変えて)、手紙、能天気を歌い、ソロライブでは、青空、さすらいのニコチン野郎を歌った。さらに河口は、SUMMER SONICで間寛平らと共に「リンダリンダ」を歌った。, 甲本ヒロト (Vocal) - 真島昌利 (Guitar) - 河口純之助 (Bass) - 梶原徹也 (Drums), 望月正水 (Bass) - 英竜介 (Drums) - 山川のりを (Bass)- 佐藤シンイチロウ (Drums), 1.リンダリンダ - 2.キスしてほしい - 3.TRAIN-TRAIN - 4.ラブレター - 5.青空 - 6.情熱の薔薇 - 7.首つり台から - 8.あの娘にタッチ - 9.TOO MUCH PAIN - 10.夢 - 11.旅人 - 12.1000のバイオリン - 13.パーティー - 14.夕暮れ, 1.THE BLUE HEARTS - 2.YOUNG AND PRETTY - 3.TRAIN-TRAIN - 4.BUST WASTE HIP - 5.HIGH KICKS - 6.STICK OUT - 7.DUG OUT - 8.PAN, 1.MEET THE BLUE HEARTS - 2.EAST WEST SIDE STORY - 3.SUPER BEST - 4.THE BLUE HEARTS BOX - 5.Singles 1990-1993 - 6.ALL TIME SINGLES 〜SUPER PREMIUM BEST〜, 1.LIVE ALL SOLD OUT - 2.野音 Live on '94 6.18/19, 1.THE BLUE HEARTS TRIBUTE - 2.THE BLUE HEARTS 2002 TRIBUTE - 3.THE BLUE HEARTS SUPER TRIBUTE - 4.THE BLUE HEARTS TRIBUTE 2005 EDITION - 5.THE BLUE HEARTS "25th Anniversary" TRIBUTE, THE BLUE HEARTS - ブルーハーツのビデオ - ENDLESS DREAMS - ブルーハーツのビデオ2 - ブルーハーツが聴こえない, THE BLUE HEARTS LIVE 日比谷野音&日本武道館 - 全日本EAST WASTE TOUR '91 - ザ・ブルーハーツ凸凹珍道中, メルダック - イーストウエスト・ジャパン - パチンコ - パチスロ - THE HIGH-LOWS - ザ・クロマニヨンズ, ろくでなしBLUES - 人にやさしく (テレビドラマ) - はいすくーる落書 - ローリング☆ガールズ, 1.アンダルシアに憧れて - 2.オーロラの夜 - 3.夜空の星くず - 4.GO!GO!ヘドロマン - 5.俺は政治家だ - 6.カレーライスにゃかなわない, 1.夏のぬけがら - 2.HAPPY SONGS - 3.RAW LIFE - 4.人にはそれぞれ事情がある, THE BREAKERS - THE BLUE HEARTS - THE HIGH-LOWS - ザ・クロマニヨンズ - ましまろ, ごめんね青春! ブルーハーツパクリ盗作似てる曲まとめ 検索対象:すべて アーティスト名 曲名 収録作品名 投稿者 検索 似てる曲を投稿する PR:前田敦子や大島優子の等身大フィギュアも展示中! ブルーハーツの言ってることと. ブルーハーツの終わらない歌、という曲で歌詞に「キチガイ」という単語があり、後に放送禁止用語ということで歌詞が伏せられるようになりましたライブでは規制後もキチガイの部分はハッキリ歌ってますか。しかし、曲の歌詞まで規制する必 ブルーハーツの様に社会の弱者やおちこぼれの観点で作った まっすぐな歌を聴いてもそれすらまぶしくて見てらんない的な。 「俺は違うんだ」という否定から入って共感できず、 アイドルやアニ声の曲を聴いて現実逃避している人が多いから。 - BMG JAPAN - 徳間ジャパンコミュニケーションズ - ソニー・ミュージックレコーズ - ソニー・ミュージックダイレクト, THE BLUE HEARTS 30th ANNIVERSARY ALL TIME MEMORIALS~SUPER SELECTED SONGS~, THE BLUE HEARTS "25th Anniversary" TRIBUTE, ブルーハーツ結成30周年、解散後も影響を与え続ける魅力とは パンクの特性から読み解く, CDJ PUSH 【特別対談】知られざる初期のブルーハーツ 加藤ひさし(ザ・コレクターズ)×片寄明人(GREAT3 / Chocolat&Akito)〜後編, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=THE_BLUE_HEARTS&oldid=80613609, 「レストラン」の間奏時にメンバー紹介をしようとするも、8小節しかなかったので失敗した。, 当時の写真などによると、イベント名は「○○のない子供達のクーデター宣言!」となっている, 「街」を演奏中にギターアンプが外れるというトラブルがあり、一時ギター抜きでの演奏となった。, 「窓をあけよう」、「ほんの少しだけ」、「ブルーハーツより愛をこめて」は、この日の演奏が最後となった。, 「「ブルーハーツの友」スペシャル第二弾」によれば、この日「星空」という新曲が披露された, 「シャララ」はこの日のみの演奏となった(一部サイトで87年6月22日の御堂会館でのライブで初披露とあるが、それは間違いである)。, 原子爆弾に因んでか、チェルノブイリ→NONONO→爆弾が落っこちるときの順番で歌った。, 6月、望月脱退、正式メンバー決定までの間、コーツ、グレイトリッチーズ、ディープ&バイツで活動していた山川のりをが一時的にベーシストとして参加(甲本は山川をこの年いっぱいはメンバーとしてやっていくといっていた)。, 30th anniversary THE BLUE HEARTS re-mix「re-spect」(2016年1月27日), THE BLUE HEARTS LIVE! クスリをやったりするのは絶対いけないことですブルーハーツを聞くことはイケないことしてる気持ちブルーハーツのライブ見ろよ演者も客も狂ってるけどクスリやってるやつ… 「tm聞いてるやつはバンドわかってない」いろいろ言う人はいましたが、わたしは隠れキリシタンの様にこっそり聞いてました。わたしは、バンドやるようなオラオラ人ではありませんでしたが。 tm以外にも、boØwyとブルーハーツはよく聞いてた。 2018.11.25. ザ・ブルーハーツは1995年6月に惜しまれつつ解散をした。 誰が解散を言い出したのか? 日本人初のテニス四大大会決勝進出、優勝を成し遂げた大坂なおみ選手の人気が急上昇中だ。そんな大坂が好きな言葉が、THE BLUE HEARTSの歌詞「やりたくねぇことやってる暇はねぇ〜」であることが判明。THE BLUE HEARTSファンを驚かせている。 !」にて初披露。その後数回演奏されたのみで、メジャーデビュー後は一切演奏されず。, 1989年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、このツアー以降演奏されず。, 89年の全国ツアー「ON TOUR全国版」にて初披露、アンコールのラストに演奏された。このツアー以降演奏されず。, また、会報誌「BLUE PARTS」の1990年1月1日号には歌詞が掲載されている。, 1985年~1986年に演奏されていた曲で、「世界一のクリスマス」でも演奏された。(1986年6月9日に, また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年9月1日号には歌詞が掲載されている。, 4thシングル「ラブレター」のケースの内側に「今だって ホラ ホラ ホラ! ブルーハーツはしばしば宗教関連の話が話題にのぼるバンドである。 そこで、この記事では自分の知ってる限りで宗教関連のアレコレについてまとめたい。, (きっと本人たちはこんな昔の話掘り返して欲しくないと思いつつ。個人的にはブルハ関係なくずっとリアルタイムな感覚で関心のあるテーマではある), どれも有名と言えば有名な話で、3人というのは、ベースの河口純之助とブルハのファンクラブ会長の亀岡寿江、そして甲本ヒロトの中学の同級生、中川智正。, 宗教で思い浮かぶのは解散との関係だが、それについては別記事で書いていて、一応直接的な関係はないと思われる。 オウムの2人(亀岡・中川)も解散時期(1995年)に活動しているが、この2人に関しては確実に関係ない。, [Amazon] YOUNG AND PRETTY 真島真利(右上)甲本ヒロト(右上)河口純之助(左下)梶原徹也(右下), 河口純之助が入信したのは幸福の科学。 創始者兼総裁の大川隆法が1986に立宗した新興宗教で、本尊は仏陀の生まれ変わりであり、至高神エル・カンターレである大川自身。, 河口は1990年頃、幸福の科学に入信。 ブルハの活動中は公言していなかったが、入信以降に作詞した「心の救急車、インスピレーション、宝もの」では信仰の影響がみて取れる。, ブルハ解散時のロッキングオンジャパン(1995.07)のインタビューでは幸福の科学との出会いがいかに凄かったか語っている。, (ブルーハーツでの10年間は河ちゃんにとってどういう変化があった10年間だったの?), 「一番の変化っていうのはやっぱり幸福の科学の主宰・大川隆法先生にめぐり逢えたっていうことかな」, 「僕は関係ない、僕サイドから見たら。(中略)ほかの人たちはどういう風に見てるかねえ、それはわからない。」, 「一番みんなに伝えたいことっていうのは、やっぱり今御釈迦様がこの地上に降りられていると、仏陀が下昇されてってことかなあ(笑)それも、この日本で。だからそれが大川隆法先生であり、ほんと先生に出逢えて…もう感無量です!」, ラストアルバム「PAN」収録の「幸福の生産者」等でもエル・カンターレを讃えていて、演奏も幸福の科学会員と行っており、さすがにもはやブルハの楽曲とは言えないものとなっている。, 歌詞カードには「執着を捨てよ」という宗教的メッセージ?の英語のコラージュを掲載。 もちろん、これは大川が「太陽の法」などで書いている教えからきてるものだろう。(大川も自動書記で書かされたものらしいが), 同じく「PAN」収録のヒロトが「ヒューストンブルース」で神や天国を否定したことに対して、雑誌「FM STATION」で「宗教的に無知な部分の延長。ファンに申し訳ない」という旨のコメントをしている。, また、「Quick Japan vol.4(1995.10)」でもロックと宗教をテーマに河口への単独インタビューが行われた。, が、完成した原稿が納得いかなかったため河口が勝手に原稿を持ち出し、掲載を拒否。 話し合いの末、掲載は見送られることになった。, 同誌によると、ここでも河口のコメントは「解散の真相は単に宗教解散と言えるものではない」という内容で、一方、インタビュワーの印象は「深くつながっているのでは?」というものだったようだ。, 河口は2009年に幸福の科学を支持母体とする「幸福実現党」から出馬したり(落選)、音楽活動を通して信仰を続けている。, ブルーハーツのファンクラブ「ブルーハーツ集団」の会長 亀岡寿江はファンクラブを辞め、オウム真理教に入信。 オウム真理教のグッズショップ「サティアン渋谷」で店長も務めていた。, 彼女のインタビュー記事が上であげた「Quick Japan vol.4(1995.10)」に掲載されている。 顔写真もたくさん載ってるが、ここで載せるのは控えておきたい。年齢は当時29歳。, 時期的に1995年10月頃というのはオウムが3月にサリン事件を起こし、すでに逮捕された後。 そんな中、全く悪びれず満面の笑みでインタビューに答える様子は異様に映るかもしれない。, その辺は次のような信者へのインタビュー集を読むと何となく理解できると思う。 (小説家 村上春樹と心理学者 河合隼雄の分析が面白い), 一言で言ってしまうと、カルトの熱暴走を起こしていたのは麻原と幹部周辺で、同じ教団内でも一般信者とはあまりに温度差があり、信者自身、一連の犯罪行為は自分ごととして捉えられなかった節がある。, 一般信者の声を聞くと、みんな善良な人という印象しかない。 (というか、一般人以上に善良で、それはそれで危うい部分ではあるけど), 亀岡も信仰面の考え方は引っかかるものの、普通に良い人だし、聡明だし、ブルハのことが本当に好きなことが伝わってくる。, オウム信者は「切実な何か」があって入信してる印象があるが、亀岡の場合「なんとなく面白そう」でフラッと入ってる点は珍しいかもしれない。, 「そうですね。私の中では根本的に同じですね。〜。例えば、その時代はメジャーデビューすることイコール、バンドはもう終わりだ、みたいな風潮があったじゃないですか。〜。ブルーハーツはそういうことを分かった上で、あえて業界の中に飛び込んで言ったと思うんですね。〜。内側から何かを変えてやろう、と思って。で、そういう意味で言えば、オウム真理教の言っていることと、ブルーハーツはすごく近いんですよ。」, 「もちろん現世的ではあるんですけど…でも、一歩も二歩も深い考え方をしている。徳は高いと思いますね。〜。”智慧”があるということでしょうかね。」, その他、(勧誘ではないとしつつ)河口に幸福の科学の本をもらったことや、出家前に河口にオウムはやめるよう諭(さと)されたことを話している。 (なので「河口が(亀岡以外の)ファンを勧誘していた」という「噂」は信ぴょう性が高い気がする), オウムの後継団体に「山田らの集団」があり、「ブルーハーツ集団」とネーミングセンスが同じことから「まさか亀岡が代表?」と思ったが違うようだ。 「山田らの集団」は公安が便宜的につけた名前らしい。, 中川智正は1988年に入信したオウム真理教の信者で、麻原の主治医。 「カルトの熱暴走」が巻き起こっていた幹部側の人間で、一連の犯罪行為にも多数関わっている。, 中川はオウム三大事件の一つ「坂本堤弁護士一家殺害事件」で妻と赤ん坊を殺害。 サリンの生成にも関わっており、計25人もの殺人を問われ死刑判決を受けた。, 一連の犯行については昨年刊行された「サリン事件死刑囚 中川智正との対話」に詳しい。 (自分は中川のパーソナルな部分が気になって読んだのだが、その辺はあまり触れられてない。あと「緊急刊行」されただけあって、ちょっと編集が雑), その中川は甲本ヒロトと同じ岡山出身で、岡山大学教育学部附属中学校の同級生である。 なので、同じく同級生として有名な浅草キッドの水道橋博士とも同級生。, 同じ時、同じ場所に、のちのロックスターとお笑い芸人とテロリストが机を並べていたというのは感慨深い。, ヒロトと水道橋博士は交友があるが、ヒロトと中川に関しては不明。 ヒロトの実家はクリーニング店で中川の実家は洋服店という縁がありそうな共通点はあるが、今まで一度も触れていない、と思う。, 水道橋博士は何度か中川についてラジオやブログで触れていて、TBSラジオ「小島慶子 キラキラ」(2010.4.2)の内容を載せてるブログがあったので引用させてもらう。, 「水道橋博士が語る「同級生だった中川智正死刑囚に関する戦慄体験 | 後世に残したいラジオの話」, 博士 「ちょっとディープですけど、これ笑い話ではなく本当の話なんですよ?あのー、1995年に、あのー、オウムのサリン事件があったじゃないですか」, 「その時に、まぁ、麻原彰晃の主治医として、こうニュースになってた中川智正っていたんですね」, 「で、その1995年にニュースを見てたらサリン事件が起きて、それで『今逃亡中』って出て『中川智正』って出たときに『あっ、俺と同い年。えっ!ひょっとして、中川智正って俺のあの同級生の!?』って思った時の僕のこの戦慄な思い?・・」, 「と共にですね、僕の共通の友人のK君っていう人から電話がかかってきて「今ニュース見ているか?」って。『いや連日連日すごいじゃないか』って」, 「お前、芸能人なんかやっているわけだから、何とか中川をかばってやってくれ」みたいな話があって」, 「『でもそんな今サリンだの何だのって言っているのに、そんなこと出来る訳ないじゃない』つって。『まさか中川智正・・』その、あだ名が『ケツ』って言ったんですね、中学時代のあだ名」, 「『でもケツがまさかこんな事になるとは』って言ったとたん、そのK君が「失礼なことを言うな!中川智正はケツではない!ボージサットバ・バジラディッサ師だ!」って」, 中川もオウム関連書籍を読むと、すごく良い人で、学生時代は神童とまで呼ばれていたらしい。 そして、人を助けるために医者になったにもかかわらず、入信直後、罪のかけらもない赤ん坊を素手で殺している。, 1995年、甲本ヒロトはバンドメンバーに「宗教的に無知」と言われ、ファンクラブ会長に「ブルハとオウムは根本的に同じ」と言われ、中学の同級生が「カルトに狂ったテロリスト」と知った。, 確認しておくと、オウム関連の問題が明らかになったのは1995年。 ブルハの解散はそれ以前(93〜94年)に決まってるので、解散との関連性はない。, ドラムの梶くんは阿含宗を信仰していて、そのことをデビュー時から公表している。 1987年のロッキングオンのインタビューでも、普通に「私は仏教徒ですから」と話している。, それとブルハの活動や解散がどう関わってるかは不明、というか特に関係ないと思う。 梶くんは今もドラムを続けていて、色々な媒体やバンドでちょくちょく見かける。, なぜかよくわからないが、ヒロトも宗教との繋がりを目にする。 金光教?という情報も見かけた。, ニックネームはすごく仏教的だが(マーシー=慈悲)、マーシーからも全く宗教への関心は見られない。 というか、ヒロトと同じくかなり否定的と思われる。, デリケートな話題なので、あまり安易に結びつけるのはためらわれるけど、一つだけ。 これはブルハ・ハイロウズ関係なく個人的にずっと関心があるテーマでもある。, ハイロウズの歌詞は、やはり一連の宗教がらみのアレコレがあったからか、元々あった反宗教的な意識がより尖ってるように見える。, 外的条件との接触を少しずつ減らしていって、最終的に欲望が完全に断ち切れた状態が涅槃(ねはん)だと思うんですね。何があっても心が動かない。 〜。 絶対的な”自由” ”幸福” ”歓喜”が訪れると思いますね。 〜。 そしてずっとその状態が続くんだと思います。, オウム 、幸福の科学問わずだけど、宗教はまず「欲望」を悪や罪とみなす。 「利己心・エゴ・欲望を抑えろ」と説く。, そして天国やらユートピアやら、どこか遠いところに矛盾も苦悩もない完璧で素晴らしいビジョンを描く。, すごく素朴に疑問に思うのは、あれだけ自分の欲求に忠実に生きて、今・ここを楽しんで、なおかつ沢山の人を幸せにし続けているヒロトとマーシーのそばにいて、なんでそういう考えになるんだろう??ということ。, 裸になって 滝に打たれても 結局何にもわかりゃしないだろ 日々の煩悩と欲望の中に しっかり確かな手応えがあるぜ, まるで宗教的なものへのカウンターとして、といっていいか分からないが、ヒロトとマーシーの歌には今と現実と人間をありのまま肯定する言葉が込められている。, 「河ちゃんは今何やってるんだろう?」と調べてみたら、結構前から「河口純之助&タイムトラベラーズ」というバンドをやっていたようだ。 で、youtubeに上がってた曲を聴いてみたら、思った以上に良くて…, 今回のクロマニヨンズのレインボーサンダーツアーも無事参戦を果たせた。 ブルーハーツって結局マーシーが凄かっただけでは? ... 長渕剛とかいう尊敬されてるのか馬鹿にされてるのかよく分らないミュージシャン . 80年代 ファンク ロック 男性バンド. ブルーハーツを知らない人にもオススメできる、人気有名曲をランキング形式で紹介しました!聞けば虜になること間違いないので、ぜひ参考にしてみてくださいね。 俺、ブルーハーツのほぼ全曲の歌詞覚えてると思う。 初めて聴いたのは9歳のころ、ハイスクール落書きってドラマの主題歌"train-train"をテレビで観てやられた。 歌の部分だけ録画して、何度も巻き戻しては歌詞を紙に書いてずっと歌ってた。 伝説のバンド、「the blue hearts【ブルーハーツ】」、メンバーはパンクロックカリスマのボーカル甲本ヒロト、天才のギター真島昌利マーシー、モヒカンのいい人梶原徹也、幸福の科学の梶原徹也。ブルーハーツのメンバーの現在、今何してるのか ブルーハーツのファーストは少なくとも国内の名盤企画では評価されてることが多いけど、ハイローズはそういうのとは無縁だろ だから最初から名盤としての評価もされてない、売り上げもない、影響力もないって最初から言ってるじゃないか ブルーハーツはしばしば宗教関連の話が話題にのぼるバンドである。 そこで、この記事では自分の知ってる限りで宗教関連のアレコレについてまとめたい。 (きっと本人たちはこんな昔の話掘り返して欲しくないと思いつつ。 ブルーハーツ自体を否定するつもりはないんだが、キャッチーでポップな楽曲性ゆえにリスナーがなぁ・・・ 芸能人でも多いけど、パンクでもロックでもないのがブルーハーツ好き、かっこいいとか言ってんの見る度にモヤるんだよ 〜1987.7.4日比谷野外音楽堂〜 (1987年9月1日) - メルダック, TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL 〜2月12日 日本武道館〜 (1988年6月21日) - メルダック, ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989(1990年1月1日)- メルダック, 全日本EAST WASTE TOUR '91(1991年9月10日)- イーストウエスト・ジャパン, ENDLESS DREAMS 〜THE BLUE HEARTS MEET THE MUTOID〜(1993年7月10日)- イーストウエスト・ジャパン, ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(1993年11月10日)- イーストウエスト・ジャパン, ブルーハーツが聴こえない〜HISTORY OF THE BLUE HEARTS(1996年2月7日)- メルダック, 全日本EAST WASTE TOUR '91(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン, ブルーハーツのビデオ2 VIDEO CLIP 1990-1993(2002年4月24日)- イーストウエスト・ジャパン, VHS版『THE BLUE HEARTS』と『ブルーハーツのビデオ VIDEO CLIP 1987-1989』収録, VHS版の『THE BLUE HEARTS LIVE!』と『TOUR'88 PRETTY PINEAPPLE SPECIAL』を収録, ブルーハーツが聴こえない HISTORY OF THE BLUE HEARTS(2004年5月26日)- メルダック, THE BLUE HEARTS on TV DVD-BOX(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット, THE BLUE HEARTS on TV(2010年6月9日)- オフィスM4/ハピネット, 音楽誌が書かないJポップ批評41-ブルーハーツ/ハイロウズ ヒロトとマーシーの20年- (, ブルーハーツをモチーフとするタイアップ機として発売された。販売台数は2009年3月末時点で約1万1千台, また、会報誌「BLUE PARTS」の1987年11月1日号には歌詞が掲載された。, 陽のあたる場所と同じく、1986年10月1日 渋谷ライブイン「ワン・ツー・パンチ! どうして解散…. ザ・ブルーハーツの現在。メンバーは何してる?解散の理由は?「train train」「情熱の薔薇」の誕生秘話は? ブルーハーツ好きなのに青春全部捧げて頑張ってるハロメンをアンチしてる奴はまさかここにはおらんよな? 75 名無し募集中。 2019/02/12(火) 22:11:24.23 0 幸せになりかけているじゃあないか ヒロト」と幸せのブルースの「今も幸せになりかけているじゃないか」という歌詞に似たフレーズがある。, 2006年 プロ野球中日ドラゴンズ藤井淳志選手が入団時、入場曲を中日スポーツで公募してブルーハーツの『TRAIN-TRAIN』に決めた。また、2009年からはブルーハーツの『キスしてほしい』を入場曲に使用している。. @rontenro 気になるあの子もブルーハーツ好きだなんて素敵‼(笑)ブルーハーツはいろんな意味で青春を味合わせてくれるよね(笑) — TMGE (@bluehearts0715) 2014, 1月 7 @ADaBaNa46 @rontenro わかる! 悔しいのとか辛いのとか、自分の代わりに言ってくれてるような歌じゃな! 母親が言っていることの違いの間で揺れた・・・ 歩の言葉にみんなが痺れる・・・ シンプルがパワフル! 岡山も盛り上がったんです! 鳥肌は嘘をつかない! 昨日も朝からがんばりました!(笑) 連日、飲んでます(笑) ブルーハーツ(青春パンク)とロッキー(小学校の頃、父と映画を見に行ったのを覚えている)が好きなあゆむです お酒は、ジントニックが一番好き 僕をしらない人の為に、僕の介護感を書いてます 是非見てくれたらうれしいです ブルーハーツはいまだによく聞いてる 92 番組の途中ですがアフィサイトへの転載は禁止です (ワッチョイW 1e82-oD98) 2018/08/24(金) 23:29:26.06 ID:M37o0DwM0 昆虫好きのおじさん the blue hearts(ザ・ブルーハーツ)は、日本のパンク・ロックバンド。 1985年結成。 1987年にメジャーデビューし、1980年代後半から1990年代前半にかけて活動し、1995年に解散した。 通称:ブルハ。 ヒット曲は「リンダリンダ」「train-train」「情熱の薔薇」「夢」など 。