アンドロイドとロボットの違い. アンドロイドはオペラの夢を見るのか? 人工生命×アンドロイド「オルタ3」が新国立劇場のオペラに出演 #大野和士 #島田雅彦 #渋谷慶一郎 #小川絵梨子 #石黒浩 #池上高志 #増井健仁 ヒト、機械生命体、アンドロイドの差異について(1週目のパスカルの村まで行った時点での感想) 砂漠地帯で機械生命体が感情があるかのように行動し、人間のような機械生命体を生み出した時、プレイヤーは一種の不気味さに似た感情を覚える。これはなぜか。 そしてこの作品で登場するアンドロイドはほとんど人間と見分けがつきません。. 人造人間(じんぞうにんげん)は、人型ロボットなど人間を模した機械や人工生命体の総称。SFフィクション作品、漫画・映画・小説などで取り扱われることが多い。, 日本国語大辞典に掲載されている「人造人間」の最も古い用例は、1923年(大正12年)に出版された『人造人間』(宇賀伊津緒訳、戯曲『R.U.R.』)にある。この本で宇賀は「人造人間」という語を、作中に登場するrobot(ロボット)の訳語とすると共に邦題としても用いている。序文中では「私はこれ(ロボットという語)を勝手に「人造人間」と譯(訳)しました。」と述べている。『人造人間』は翌1924年に築地小劇場において上演された。人造人間という語が宇賀による造語かどうかは定かではないが、これ以降「人造人間はロボットの訳語」と認識されている。現在発行されている多くの国語辞典で「人造人間」の項目に「人造人間とはロボットのこと」に類する記述をしている。より詳細な国語辞典では『R.U.R.』との関係を含めて記載されている。『R.U.R.』のロボットが「人の代わりに作業(労働)をさせるために、人(の姿と自律行動)を模して」作られたものであったため、人造人間という語も「人に代わって作業(労働)をする存在」や「人を模して作られた存在」、「人の(自律)行動を模して作られた存在」に対して用いられる。, 『R.U.R.』のロボットは、人間そっくりに、人間とは異なる組成で作られた、まさに「人造人間」と呼ぶべき存在である。しかし、その後一般に広まった「ロボット」という語は、徐々にそれが用いられる対象や範囲を広げていった。現在ではペットロボットのように「人に代わって作業をするわけでも人を模して作られたものでもない」物もロボットと呼ばれている。それらは日本語としての「人造人間」という語の「人造の人間」というイメージからは逸脱するため、一般に「人造人間」とは呼ばれない。現在は、「ロボット」を単純に「人造人間」に置き換えることはできない。, 人造人間という語が広まる以前から「人造の人間」(自然な状態で生まれるのではなく、作り出されたもの)という概念は存在した。実在するものとしての「『R.U.R.』のロボット」のような人造人間は今のところ実現していないが、伝説上の存在や架空の存在としての「人造の人間」は古くから語られ、また作品として創作されている。それらの多くは大きく「人造人間」というカテゴリに分類されてはいるものの、個々の「人造の人間」の特徴や特性、呼び名は様々である。, 伝説上の存在として、古くは、ギリシア神話のタロース、ユダヤ伝説のゴーレム、ギルガメシュ叙事詩のエンキドゥなどが挙げられ、日本でも鎌倉時代の説話集『撰集抄』巻五に、西行が故人恋しさに死人の骨を集めて復活させようとして失敗する話「高野山参詣事付骨にて人を造る事」がある。SF関連作品に登場するものとしては、『フランケンシュタイン』の被造物(フランケンシュタインの怪物)以降、多数の「人造の人間」が創作されている。, 実在のものとしては、日本では1928年(昭和3年)に西村真琴が學天則を製作している。造られたのは上半身のみだが、腕を動かして文字を書いたり表情を変えたりすることができた。21世紀初頭の現在までには、ホンダの開発したASIMOや富士ソフトが開発したパルロなど人間の動きに近いもの(二足歩行など)、株式会社ココロと大阪大学が共同で開発したアクトロイドのように瞬きや呼吸といった人の挙動を模倣したものなど、それぞれの分野に特化した形で実現しており、さらに研究開発が続けられている。, ロボットの定義が明確に定め難いのと同様に、何をもって人造人間とするか、という明確な定義も事実上存在しない。フィクションにおいても、定義づけに関する対応は作品によって異なっている。, フィクションにおいて、外見や行動がより人間に近い人造人間が登場する場合、人造人間と人間との境界(精神的・抽象的なものから法的なものまで)がしばしば問題となる。この問題は「人間とは何か」、「生命とは何か」、「心・魂とは何か」といったより根源的な問題を含むこととなるため、各作品においても対応はまちまちで、そうした問題自体をテーマとした作品も頻繁に創作されている。, アブラハムの宗教(キリスト教、ユダヤ教、イスラム教)では、旧約聖書の天地創造にあるように、人間(アダムとイブ)はヤハウェ・エロヒムに造られたとされており、人間を造るのは「神の行為」とされている。そのため、人間が人間を造るという行為は神への挑戦、あるいは冒涜と見做される場合がある。[要出典], 初期の人造人間が登場するフィクションが制作された背景には、社会の近代化や科学技術の進歩に対する漠然とした不安があった。この心理が人造人間そのものへの不安フランケンシュタイン・コンプレックスに反映されているとする見方がある。, 人造人間やロボットのように「人造の人間」を表す語は多い。フィクション作品においては、作品独自の造語や誤訳、語のイメージ重視の使用(意図的な誤用)なども見られる。以下に、主なもの(主に当記事にリダイレクトされている語)について記す。, 人型ロボット (ひとがたロボット)、人間型ロボット (にんげんがたロボット)は、外見を人間に似せて作られたロボットのことで、「人型でないロボット」との区別のために使われる言い回し。ヒューマノイドロボット(humanoid robot、人間そっくりのロボット)とも言われる。アイザック・アシモフは、『鋼鉄都市』に登場する人型ロボットを指す語としてヒューマンフォームロボット(humaniform robot、人間型ロボット)を用いている。, アンドロイド (android、ラテン語:androides)は、ギリシア語のandro-(人、男性)と接尾辞-oid(-のようなもの、-もどき)の組み合わせで、人型ロボットなどの人に似せて作られた存在を指す。ヒューマノイド(humanoid、英語のhuman(人)と-oidの組み合わせ)とは、由来する言語が異なる同じ構造の語であり、ほぼ同義である。「andro-」が男性の意味も持つことから、女性型アンドロイドをガイノイド (gynoid)と呼び分けている作品も見られる。, 作中に登場する人造人間に対して「アンドロイド(フランス語:androïde)」という語を初めて用いた作品は、小説『未来のイヴ』(オーギュスト・ヴィリエ・ド・リラダン著、1886年)とされているが、語自体の歴史はさらに古く、1728年にイーフレイム・チェンバーズが編纂・出版した百科事典『サイクロペディア』(Cyclopaedia, or Universal Dictionary of Arts and Sciences)には、既にANDROIDESの項目があり[1]、18世紀初頭には使われていた語であることが窺える。この中でアンドロイドの意味は「オートマトン(オートマタ)のこと」とされており、用例として「アルベルトゥス・マグヌスはアンドロイドを作ったと記録されている」という記述が挙げられている。, バイオノイド(bionoid)、バイオロイド(bioroid)は、いずれもバイオ(バイオニクス、バイオテクノロジー)とアンドロイドを組み合わせた語であり、SF作品に登場する人型のロボットを指す。, バイオノイドは1980年頃から用いられている語で、初期の用例としては、映画『スペース・サタン』(アメリカ、1980年)が日本公開された際のチラシやパンフレットにおいて、同作に登場するロボット「ヘクター」を「バイオノイド」と紹介している。用語辞典では、, バイオロイドも1980年代から用いられている語で、初期の用例としては、1983年に発表され、1985年に出版された漫画『ブラックマジック』(士郎正宗作[注 1])や1984年放送のテレビアニメ『超時空騎団サザンクロス』(タツノコプロ制作)がある。, サイボーグ (cyborg) とは、該当記事にあるように「自動制御系の技術で人間や動物が身体機能の補助や強化を行った」もので、日本においては一般的に「機械で身体や能力を強化された人間」のことを指すが、人間の部分がどれだけ残っていれば(あるいは使われていれば)サイボーグか、といった問題もあり、実際には「人造人間」や「ロボット」と混用されている場合がある[注 2]。また、英和辞典においても「cyborg」の和訳として「人造人間」を記載しているもの[4][5]も見られる。, フィクションにおいて人造人間として扱われることのある用語で、ウィキペディア日本語版内に記事のあるもの。, 人間を造るのは「神の行為」とされている。そのため、人間が人間を造るという行為は神への挑戦、あるいは冒涜と見做される場合がある。, イーフレイム・チェンバーズ『Cyclopaedia, or Universal Dictionary of Arts and Sciences』1728年, https://ja.wikipedia.org/w/index.php?title=人造人間&oldid=74434133. 大きな森の中で王国を建国した機械生命体 サイバネティック・オーガニズム(CYBernetic ORGanism)の略。広義では自動制御系の技術(CYBernetic)と生命体(ORGan)を融合させたものを指し、現実でもインプラント・コンタクトレンズなど、身体の機能を人工物(電子機器)に代替したものを広義的にはサイボーグであるが、現実ではまず呼ばれる事はない。 しかし筋電義肢(義足)・人工臓器などで、医療分野を中心に幅広い研究が進んでおり、フィクション作品におけるサイボーグに近づきつつある。詳細は外部リンクを参照の事。 日 … アンドロイドとは、人類によって作られたロボットの一種。 主な仕事は、人類の代わりに作業や機械生命体などとの戦闘を行うこと。 オートマタでは、ヨルハ部隊とレジスタンス達が主なアンドロイドとして登場している。 発売日は2017年2月23日となっています。価格は7800円(税別)対応機種はPS4(現時点)ジャンルはアクションRPGプレイ人数は1人~となっています。NieR:Automataのストーリー考察。ネタバレ注意!前作レプリカントからのつな アンドロイドは模造機械でなく、有機生命体だが、共感能力がない。慣れ親しんだ姿(人間)をしたものが、異質さを見せると、それは途端に「不気味なもの」に変わるが、原作のアンドロイドたちは、まさにそんな感じだった。 異星人と彼らが繰り出す兵器「機械生命体」に対抗するために人類が生み出した汎用戦闘アンドロイドの一体にして、自動歩兵人形「ヨルハ」部隊の一員。 B型のBはバトラー(Battler)の頭文字に由来して … ニーアオートマタの舞台は人類が「機械生命体」に支配された遠い未来の地球の話だ。地球生命体と戦うために作り出されたアンドロイドの心の変化はこの作品の醍醐味の1つだろう。 美麗なグラフィック Android(アンドロイド)の対義語は、「機械、生命体」です。 意味は、それぞれ人工的に作られた機械と生き物です。 Android(アンドロイド)の語源の意味が「人造人間」でしたので、それに対する対義の単語として上記が挙げられます。 機械は人間が操作することで動くモノ。 ですがこのニーア オートマタの機械生命体は少し違います。 仲間の死を嘆くそぶりを見せる者がいる。 仲間の仇を討とうとする者がいる。 存在について考える者、共存について考える者、未来について考える者、 やっぱり二人とも(再生の卵から生み出された?)アンドロイドか機械生命体なのでしょうか・・・ 過去のスクショを見直してみると、鍵の操作はアンドロイドにしかできないとのことなのでこの線は薄い … アンドロイド: 外観はほぼ人間。自分で考え、個体差はあるけど感情表現も豊か。女性型とか男性型のモデルもあったり。 このゲームでは2bっていう女性型アンドロイドと、9sっていう男性型アンドロイドが主人公となります。 機械生命体: ロボ。 語としての人造人間. アンドロイドと機械生命体の違いのひとつとして、ネットワークへの依存度というものがあったと思います。機械生命体はネットワークからの指示を忠実に守っているのに対して、アンドロイド側はある程度は自由に動くことが出来ました。 人間は有機物を主体に進化した生物ですが、無機物を主体に進化する生物はありえないのでしょうか? (例えば、hondaの「アシモ」などは無機物ですよね。あれをもっと高度にしていけばそれはそれで一つの生命と呼ぶ事が出来るんじゃな 外見、動作も人間そのもので呼吸もします。 サイボーグ:体の一部を機械化した人でしょうね。 サイボーグ009とか、甲殻機動隊とか。銀河鉄道999の「機械人間」ってのも該当するかな。 人造人間:人間の各パーツをくっつけた人型に生命を与えたモノ。フランケンシュタインが有名。 戦いが終わり、安堵の表情を浮かべる2b。その胸には、「共に意志と感情をもつに至った、自分たちアンドロイドと機械生命体の違いは何なのだろうか?」という小さな疑問が残った。 bルート 9sの視点で見たaルートの物語となる。 平和な村社会を営む機械生命体. 世界的なロボット工学者の石黒浩さんが生み出したアンドロイドは、もはや人間との見分けがつかないほどだった。間近で見ると、そのリアルさに驚かされる。現代のロボット工学は、こんなにも人間に近いところまで到達している。 けれども石黒さんは、.. 9Sの捜索のためにスキャナーをデボル&ポポルから購入したら、早速水没都市の奥へ戻ります。 このアンドロイドに話しかけると9Sの位置をマップ上にマーキング可能。 どうやら全く別の場所にいる模様。 9Sの信号を追いかけていくと、たどり着いたのは複製された街。 真っ白で物凄い雰囲気です。ありとあらゆるところにアンドロイドの死体が転がっている…。 な~んかスクリーンショットが一瞬遅いんですよねww ここでは機 … 日本国語大辞典に掲載されている「人造人間」の最も古い用例は、1923年(大正12年)に出版された『人造人間』(宇賀伊津緒訳、戯曲『R.U.R.』)にある。 この本で宇賀は「人造人間」という語を、作中に登場するrobot(ロボット)の訳語とすると共に邦題としても用い … 彼のパーソナルデータは機械生命体のネットワーク上に残っており、そこで自我も再形成されたのだ。 喜び、安堵の表情を浮かべる2b。 その胸には「共に意志と感情をもつに至った、自分たちアンドロイドと機械生命体の違いは何なのだろうか? 機械生命体がイラスト付きでわかる! 命を持ったロボットのこと。 概要 sf作品などに登場する、命を持ったロボットのこと。 人に作られたものとは違い、元は金属生命体だったり、アンドロイドよりも感情が豊かだったり、独自に文明を築いたりすることが多い。 人類や機械生命体の歴史に関心があり、共に和平の道を模索している。 性格は優しくて友好的。かつては戦場にも出ていたが、仲間の死に慣れていく事に恐怖を感じ、戦いを放棄して同じ考えを持った機械生命体の村の長を務めている。 ボーヴォワール 「アンドロイドと機械生命体を隔てているものは何だろう」 っていうのにも繋がるんだけどサブクエでも両者の違いが垣間見えているように思う。 ・あくまで機械生命体は「受け売り」「まねごと」なんだろうな。相手の思考を考えない。 アンドロイドが再生しては機械生命体に壊される、この歴史を繰り返している。 どれが大切かはアンドロイド側では判断できないので、スピード違反の記録もチラシも手当たり次第に再生している。 7司令官ホワイト誕生 。 ここでアンドロイドとロボットの違いについて触れておきます。 簡単に言えばアンドロイドは人間に似た姿のロボットです。. 6機械生命体が、創造主であるエイリアンに反逆。 解放され、自我を拡張させた「概念人格」が、人類の秘密やアンドロイドの真実を知る 。さらに、サーバーにアクセスし、その計画を利用し始める。 . ニーアオートマタ 前作やる必要性はない?繋がり要素はエミール? ニーアオートマタをプレイするにあたって前作やる必要性はないのか?と購入を1歩躊躇うユーザーも多いようだ。 実際、前作との繋がり要素はあるものの、ストーリーは・・・ ヒト、機械生命体、アンドロイドの差異について(1週目のパスカルの村まで行った時点での感想), 砂漠地帯で機械生命体が感情があるかのように行動し、人間のような機械生命体を生み出した時、プレイヤーは一種の不気味さに似た感情を覚える。これはなぜか。私は一種の不気味の谷現象が起きているからだと考える。, ロボットとヒトを区別するものとして主に上げられるものは感情の有無や見た目などの構成要素、生殖機能の有無である。その一要素である感情を機械生命体の放つ「ナゼ タタカウ、コワイ シニタクナイ」といった音声や逃げ惑う姿から感じ、感情があるのではないかと疑いを抱き始める。しかし、人間とはかけ離れたガラクタのような見た目、カタコトの言葉から9Sのように人間の模倣だろうと自分に言い聞かせるようにして己を納得させ、敵として殲滅するのである。, しかし、その甘い考えを覆す瞬間が来る。砂漠地帯でのヒト型機械生命体の誕生の瞬間だ。あの場面での不気味さは生殖機能を持たない機械生命体が人間の交尾の真似事をしているところから始まる。生殖器のないドラム缶の腰を打ち付けあい、乳房も持たないのに求めるかのように胸に口を当てる。その滑稽ともいえる異様さが機械生命体の行動が人間の模倣であることを際立たせる。この時点では、子をなすことの出来ない機械生命体があたかも人間のように交尾の真似事をしていることが不気味なのだ。しかし、その不気味さが逆転する瞬間が訪れる。機械生命体を倒し始めると生きるために機械生命体は逃げ惑い、コノママジャダメと一つに集い核を形成していく。そして、その中からヒト型の機械生命体が誕生するのだ。無意味な性への執着から一転して生への執着を見せ、子を誕生させる=生殖機能を持つのである。しかも、生まれてきたものはガラクタのような機械生命体ではなく精巧なヒト型の機械生命体である。その事実を認識した瞬間、先ほどまで感じていた機械生命体がヒトの真似事をするという不気味さとは全く違った不気味さが生まれる。機械生命体がヒトに近づいたという一種の不気味の谷現象からくる不気味さだ。ただ、この時点ではまだ感情を有していると言えるのかという点について疑問が残っている。そのため、不気味さは生殖機能を有したことに対する嫌悪感に似た感情に留まっている。, しかし、その後の展開で機械生命体の感情に焦点が当てられ始める。次のストーリーで出てくる遊園地の歌姫型機械生命体。詳細は明かされていないため行動原理は分からないが、着飾る、歌うという行動がみられる。このどちらも他者に向けたアイデンティティの開示方法であり、他人指向型の行動であることが見て取れる。つまり、自意識というものがあり、かつ美しさへの執着から他者に自身を認めてもらいたいというエゴが存在していると考えられる。そして、パスカルの村では平和を愛するという主義を持っており、争いは好まない機械生命体の存在が明かされる。機械生命体は地球の人類を滅ぼし、アンドロイドを抹殺するための目的を持った道具であるはずである。にもかかわらず、争いを好まないことは道具としての役割を放棄し意思を持っていることに他ならない。さらに平和を愛するということは痛みや死を恐れることである。恐怖という感情を持ち、死という自己の喪失への恐れがあることは自身という唯一性を認識する自我を持っているということである。このようにプレイヤーは徐々に機械生命体の存在について否応なく考えさせられていき、自我や感情といったものが存在するのではないかと思い込み始めるのである。そうして、いつの間にか機械生命体とアンドロイドの境界があいまいになり、初めは別の存在として考えていたものを、見た目が違うだけで同じような存在だと錯覚し始めるのである。, ヒトとニーアオートマタにおけるアンドロイドの差異は何かと問われれば、体の構成要素や生殖機能の有無、そして記憶のバックアップシステムが上げられる。ここで注目したいのがバックアップ機能だ。バックアップ機能があることでアンドロイドには肉体の死=死という概念がない。物語の冒頭でコア同士を接触させて大型機械生命体を破壊した際も素体は破壊されたが9Sのバックアップにより2Bの記憶の連続性は保たれていた。9Sはバックアップが間に合わなかったことで記憶の一部を失っているが、「さん付けはいらない、ナインズと呼んでほしい」と発言するなどの行動や個性の一致から連続性のある同一個体であると見なすことが出来る。また、自爆機能もデフォルトでONであることが示唆されることからも、あくまで素体は肉体という器でしかないという考えが見て取れる。この肉体=器という考え方は肉体を道具化しているとも言える。さらにアンドロイドは感情を持つことを禁止されている。しかしながら、冒頭でのやり取りやオペレーターの恋愛話などから感情を持っていることは明らかである。そもそも、感情を持つことが禁止という決まり自体が感情を持っているという前提に立っている。バンカー内での会話を見ると感情を禁止しているという割には初任務で緊張していたり、2Bに憧れていたりと感情豊かである。では、禁止されている感情とは何か。2Bの発言から作戦遂行に邪魔になる情や任務に対する疑念であると考えられる。そのため、アンドロイドは感情を持ちながらも行動原理は機械生命体を倒すための道具として規範や任務といった単純なアルゴリズムに沿っている。このようにしてみると、アンドロイドはヒトにとって都合のいい道具として存在しており、アンドロイド自身も当然のようにそれを受容している。, 感情を持って生まれながらもヒトの道具として動くアンドロイド。感情を持たずに生まれながらも自我を芽生えさせ道具としてではなく一つの生命体として生きようとする機械生命体。そして、依然として姿を現さないヒト。恐らく、このゲームはアンドロイドが機械生命体を殲滅してエンドという単純な構造のゲームではないだろう。アンドロイドと機械生命体とヒト。境界の曖昧な三種族が最終的にどこに収着するのか見届けていきたい。, 機械生命体にパスカルという名前がついている。恐らく哲学者のパスカルから取ったものだと思われるが、彼の残した”人間は考える葦である”という言葉は人間の尊厳の全ては考えることにあるとする考えであり、感情と考える力を持ちながらそれを放棄しているアンドロイドに対する痛烈な皮肉になっている。また、同時に考える機械生命体の尊厳を肯定する言葉でもある。, しかし同時に、哲学者のパスカルは『パンセ』で「あらゆる物体の総和からも、小さな思考を発生させることはできない。それは不可能であり、ほかの秩序に属するものである。あらゆる物体と精神とから、人は真の愛の一動作をも引き出すことはできない。それは不可能であり、ほかの超自然的な秩序に属するものである。」とも語っており、アンドロイドや機械生命体の持つ思考がヒトの思考と同じ秩序に属するものであるか、というゲームからの問いかけも含まれているように感じる。. さて、アンドロイドたち主人公は、機械会生命体に奪われた地球を取り戻すための戦いの最中に、様々な機会生命体と遭遇します。 廃れた遊園地で遊んだりパレードをする機械生命体. 「アンドロイド」とは、 人間の形に似せた機械や人工生命体 のことです。 「人工生命体」とは、自然界の中で生まれるのではなく、人の手によって開発された生命体のことです。 クローンや、フランケンシュタインがこれに当たります。